ピックアップ記事

――先生がこのようなお仕事を始めたきっかけは?

 

もともと養護学校の教諭をしていて、特に高校が長かったんです。高校の美術で教員採用試験を受けたら養護学校に配属されました。たまたまです。

 

養護学校は普通校と同じように、幼稚部から高等部まであります。それぞれの卒業生は、やはり普通校と同じように、卒業したらところてんのように出て行くんですよね。

 

すると、高校を卒業した後は会社に勤めたり事業所に行ったりする。つまり「おいで、おいで」と言って世話をしてくれる学校がなくなるわけです。
そこからが七転八倒です。なかなか定着できない。

 

学校に毎日通うこと自体、彼らにとってはすごく大変なことではあるのですが、社会に出るというのはまったく違います。彼らのための居場所から、完全にアウェイ、言ってしまえば、自分が底辺の世界に行かなければならないのです。

 

養護学校では簡単なことでもできれば「すごいね」と褒められ「自分にもできるんだ」「褒められてもいいんだ」というふうに思える。

 

でも社会に出れば底辺として「こんなこともできないのか」と言われる。

 

障害のあるなしも含めて、みんなが「共に生きる社会」などと言われますが、実際はなかなかそうはいきません。誰も悪くないけれど、互いに相手を理解するのが難しいのです。

 

「常識を知らない」と怒られ「メモを取りなさい」と言われて一生懸命メモをとったら「字が汚い」とあきれられる。

 

人によっては対応力が小学生の低学年程度の方もいます。そういう方にとってはメモを取るというのはとても難しいこと。それを頑張っても認められず、責められる。

 

そこで定着できず「もう嫌だ」「自分なんてダメなんだ」「死にたい」などと閉じこもってしまったり、心身を壊したり、学校に戻ってきて泣いている子をたくさん見ました。

 

そんな中、たとえばお金が500万円くらいあれば作業所みたいなところはつくれる。ならばつくってしまおうということで退職しました。

 

おすすめの記事