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――そう思う人はいても、なかなかできない。すごい行動力です。それは先生がスピリチュアルな力をおもちだったことと関係がありますか?

 

う〜ん…。
オーラのようなものは小さいときから見えていました。今、こういうふうに話をしていても、いろんなもの、オーラなどが見えています。

 

小学校の小さい時に、校庭で校長先生がしゃべるじゃないですか。そんなとき、校長先生に光があたっているんですよ。「あれ? どこからスポットライトが当たっているのかな?」というくらいに。子どもだから「機材がないのに」なんて考えずに、みんなが普通に見えているものとして見ていたんですね。

 

だから養護学校でも、生徒さんや親御さんと会っていると、いろいろなものが見えることがありました。でもそれが直接グループホームを始めるきっかけになったかというと、あまり意識してはいませんね。

 

――高校を卒業した人たちの居場所をつくろうと養護学校の先生を辞められたとのこと。その後ホーム設立はスムーズにいきましたか?

 

退職はしたものの、ちょうどその頃に自立支援法というのができて、そういった施設を運営するためにはNPOをつくらなければいけないというふうになりました。「NPOって?」何もわからない。「また英語だよ(笑)」という感じです。それでいろいろ勉強して10年経って、やっと平成26年に開所しました。

 

――その間もスピチュアルヒーラーは続けていらっしゃったのですか?

 

退職してから母親が亡くなったり、習っていたヨガを極めていったり、グループホーム開所の準備をしながらもいろいろありました。特にヨガについては人生の岐路ともいえることがあったんです。

 

ヨガの教室でトップになって、ヨガの先生に「聖地であるセドナに行け」と言われたのです。40歳をちょっと過ぎた頃だったでしょうか。「家族を捨ててセドナに住め」と。

 

ヨガで助かったこともいろいろあり、けっこう本気で考えて、ほぼ行くつもりになっていました。「夫にも、セドナに行きたい。そうなったら、もう帰ってこられないから」と言ったりして。

 

そんなある日、自宅のあった海老名の駅から、ヨガ教室のある池袋に行こうとしていた時、まったく体が動かなくなってしまったんです。家族をとるか、ヨガという自分のしたいことをとるか。困り果てながら、すごい雨の中、海老名駅の改札を入ろうとした時のことです。

 

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