――目には見えない世界とはどのようなことでしょうか?
目に見えない世界はあります。私は形として見るというより、感じることができます。そして常に、目に見えない世界の存在に教えられ、守られ助けられています。
ときには体の不調などといった手段で、注意喚起されることもあります。これは自分が身をもって経験していることなのです。
――見えないから気づかないのはいいとして、見える人や感じる人に「ある」と言われても信じないのはなぜでしょうか?
たとえば体と違って、心は目に見えません。でも心はあるとみんな信じています。
電話相談の相手に「経営や体の不調の原因は、すべて霊です。お詫びして祈りなさい」というと、多くの方々は「そんなバカな」という反応をします。
今の世の中、霊や大いなる存在といった、目に見えないものを信じる人が、どんどん少なくなっているような気がします。
それにともない、社会的な問題はどんどん広い範囲で大きくなっています。社会的な問題が根深くなっていることは感じても、その大きな原因となっている目に見えないものを、みんな見ようとも、考えようともしません。
語ったり信じたりするだけで胡散臭いといわれ、ときには悪者扱いされてしまいます。
その原因は、これまで世に知られてきた、徳のない霊能者や、一部の悪徳新興宗教の教祖などの存在でしょう。
霊が見える、人の目に見えないものの存在を感じ、その意思を伝えることができるというのは、本来、素晴らしいことです。もともと人は誰でもそういう力をもっていたともいいますが、今はそういう時代ではありません。
生まれながらに力をもち、さらに心の勉強を積まないと、霊や大いなる存在といった、普通の人々とは違う場にいる魂や神とは交流できません。生まれながらにそういった力をもっているのに、人と違うということを利用してお金を儲けようとする。人を脅かし心を支配しようとする。
霊能相談で適正なお金をいただくことは悪いことではありません。それが仕事であれば対価をいただくのは当然です。そんなものは仕事ではないというのは、目に見えない世界を信じない人がいうこと。信じていれば、その世界と私たちの世界をつなぐ仕事があるのは当然のことと理解できます。
けれど、普通の人に見えないのをいいことに、不当に高いお金を要求したり、怖がらせるようなことをいったりするのは正しい行いではありません。まっとうな仕事ではありません。
そういう一部の不届き者たちの行いが原因で、目に見えないものを信じること、語ることは胡散臭いこと、あやしいこと、悪いことのようになってしまいました。
不届きな霊能者や教祖の一番の罪は、そういう部分かもしれません。
私たちがこの世に生みだされ、生かされているのは、人生の修行をするためだと私は考えています。自分自身や、相談に乗った数多くの人たちの実際の経験がそれを証明しています。 その修行を見守り、助けてくれるのが、先祖や大いなる存在。目に見えない世界なのです。