足がピタッと止まってしまい、どうしても動けない。
ヨガの先生から「早く来なさい」と電話が掛かってくるのだけれど、どうしようもない。周囲の人が変な目で見て通り過ぎていく。そこにパーっと光が降りてきたのです。そして明石家さんまさんのような明るい声で「オレゴンから愛よりも、今ここでしょ」って。
その瞬間「今までいっぱいわがままさせてもらっていた、その自分が家族を捨てるなんて、そんなことをしたらダメだ」って自然に思えたのです。その光と声がすごくありがたくて「普通の人でいよう」と思い、家に戻りました。
すると主人が「戻って来てくれてありがとう」と言ってくれて。それでふたりで旅行に行こうということになり、5月の旅行シーズンで空きが全然ない中、たまたま空きがあったカンボジアに行くことになりました。
行ってしまったら、カンボジアはすごいところ。すごいカルチャーショックの連続。それもみんな神様のはからいだったのだと思います。
帰って来てからもすごく大変でね。10日間、下痢と発熱が続きました。病気だとか、お腹を壊したということとは違う感じで。
その他にもいろいろなことがあったのですが、丹光…光がパシパシ、パシパシっと自分の周りで光ったり、スポンって体外離脱したり。そして本当に心から「オールインラブ」っていうことが実感できたのです。
すべてのものは愛。それしかないとそのときにおりてきて「これはもう、自分のやるべきことをやるしかないな」ということで、グループホーム開所に向けて走りはじめました。
NPO法人グラウンドカラーズ理事長
幼少期より目に見えない存在を感じ、見ることができ、小学生の頃、朝礼の時に校長先生の周りにオーラの光を見る。
1980年養護学校の教員になる。
1989年に西洋レイキ、その後、直伝レイキのマスターレベル、インテュイティブヒーリング(音叉ヒーリング)やジョイヒーリングを習得。
2002年、母が膵臓癌で逝去。そのときからヒーリングの価値観に疑問を抱き、人生について悩み、不定愁訴に苦しむ。
2003年 ヨガと出会い、マスターヒーラーから家族をすてて、セドナへ行くよう迫られるものの、偶然のできごとから日本にとどまり主婦の道を選ぶ。
セドナ行きをあきらめ、カンボジア旅行へ行った先で、丹光が見え、さまざまな体験をする。(※丹光 自分の生命エネルギーから出ている光)
2005年 養護学校(特別支援学校)教諭を退職。
古神道や言霊修道士の資格をとり、ヒーラーとして本格的に活動を始める。
そののち養護学校教諭の経験を活かし、NPO法人グラウンドカラーズ理事長、共同生活援助事業グリーンリーブス運営、相談支援事業すてっぷ虹の運営と現在に至る。